未来のはなし。
女のひとがでてきます。尚且つ彼女視点で話が進む。
しかも海堂がどこにもいない。跡海だけどね

それでもよろしければどうぞ

 

 

 

 

夕食でもどうだと誘われて、私は上機嫌だった。彼の方もずっと上機嫌だったものだから、私は尚更に
気分が良かった。
良い男と過ごす時間は、相手が楽しそうであればあるほど良い。それは自分が相手を愉しませることが
出来るだけの女であることを示すからだ。

レストランを出て、そのままホテルのバーに来て、もう時間も時間だった。何しろ今日は彼がよく喋る。
普段から寡黙な性質ではないが、こんなにも彼が饒舌なのは初めてだった。彼はいつも私を窺って、上
手い口を利くばかりだったから、こんなに無邪気に、楽しそうに話をする彼を見ることはいままで無か
った。アルコールも入って、どことなくその顔を紅潮させる彼は、少し幼くも見えた。

「今日はよく喋るのね。それも昔の話ばっかり」

彼が話すのは、自分の学生だった頃のことだった。昔は随分と華々しい活躍を見せるテニスプレーヤー
だったというのは聞いたことがあったが、こうも詳しく聞くことがあるとは思っていなかった。
彼は本来過去のことをあまり口に出すことがない。

「退屈か?」

「いいえ。ただ随分と楽しそうなものだから」

そういうと彼は、はっとしたような顔をしてからきゅッと口角を上げ、さも愉快そうに言った。

「今日、昔の知り合いを見掛けたんだ」

彼が言うにはこうだった。車での帰宅途中、人通りの少ない公園を通るときに、端の方でしゃがみ込む
人影があった。奇妙に思って(今日は雨が降っていた)信号を待つ間眺めていると、成る程、その腕に
は濡れそぼった猫が抱かれていたらしい。
ふと猫が身じろいだときに、その元気そうな様子を確認して、嬉しそうに笑う横顔が見えた。何、それ
が彼のかつての知り合いだったという話だった。

「今時ダンボールに猫が捨てられてて、それを拾うなんてひとが居るのね。それも、こんな雨の日に」

「昔から動物の好きなやつだった。あの様子じゃアイツの家は猫屋敷じゃないか?」

「随分と親しかったみたいだけど、どうして話掛けなかったの?急いでいたわけじゃないでしょう。
 雨が降っていたとはいえ、車を降りればよかったのに」

私がそう言うと、彼は少し驚いたような顔をして、そしてまたすぐに楽しそうに笑って言った。

「いや、親しくなんてなかったさ。寧ろ、アイツが俺を覚えているかだって怪しいもんだ。まともに口
 をきいたことだってないんだから」

私は少し驚いた。彼がそんな風に、関わりもない人間に関心を持つとは思っていなかったからだ。
そこから話題はいっきにその人物の話ばかりになった。話題と言っても、彼が一方的に私に話して聞か
せるばかりだったけれど。

以前にも、同じように雨に濡れているところを見たことがあること、
そのときは猫を拾えずに居たらしいということ、
それからというもの何かと目に留めることが多くなっていたということ、
一度だけ、物凄い剣幕で睨まれたことがあること。

もしかしたら、自分は嫌われていたのかもしれない、とも彼は言った。
これに関しては、苦笑交じりに、『確かにあの頃の俺は、あまり人好きのする性質ではなかった』と言
及し、『まあ今も大して変わっていないかもしれないな』と締めくくった。

話を進める彼のあまりの勢いに驚いたものの、私は黙って彼の話の続きを聴いていた。

「綺麗な、意思の強い眼をしていて…多分あれは気が強い。ああ、だけど、あの雨の日の…泣きそうに
 揺れる色に、驚いたのだったか。面白いテニスをする奴でな、一度くらい打ってみれば良かったかも
 しれない。今となってはどうしようもないが、何しろ興味を引く奴だった……」

そう言う彼の言葉は段々と弱まって、逸るような語調はそのうち呟くように密やかになった。
眼を細めて、満足そうな、昔を懐かしむような顔をする。どうにもその顔が気に食わなかった。
そして悟った。今日の私の期待は裏切られるということに。

「………気分悪いわ」

これ見よがしに眉を顰めて言ってやれば、彼らしくもなく、愕くほど素直に謝った。
悪いな、昔の話ばかりじゃ、やはり退屈か。そう笑う彼の顔はとても魅力的で、だけど、私には彼の良
い友人になってやる義理などなかった。

「違う、そんなくだらないことじゃない。良い男はどんな話をしていたって良い男だもの。
 ただね、自分に気のある女の前でそんな話をするのは、良くないんじゃないかって思うわ。私は、イヤ

不思議そうな顔をする男の胸に指を這わす。
訝しげな男の眼は美しかった。
底の見えない深い青。彼を睨めつけた相手は、彼を忘れているだろうか。もしこの眼と視線を交わした
ことがあるのだとしたら、そんなことは有り得ないだろうと思った。

ほんの少し、名残惜しい気もしながら、だけど彼の左胸に爪をたてて、私は別れの言葉を告げた。


「気付いていないの?アナタ、その子に恋をしていたんだわ」


息を詰める男を置いて、一度も振り返ることなく、私はその場を去った。

 

 

 

真っ赤な爪が心臓をなぞる

 

跡部って良い男なんだって思って書いたはなし。
彼女が海堂を男だと思ってるか女だと思ってるかは謎です

20100924